アジアのある場所と路上飲み

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下川裕治さんの新刊『アジアのある場所』を購入した。秋晴れの空の下、缶ビールを片手に読もうと思っている。

まだ読んでいないから、作品の中身は知らない。多分日本のどこかのアジアを巡る旅なんじゃないかと思っている。

購入したきっかけは、なにより僕自身がアジアの空気が流れる場所が好きだった。15年以上前、初めて訪れた沖縄。それから取り憑かれたように、何度も通った。国際通りに近い公設市場の周辺は、今思えばアジアの入口だった。

木造が多い内地と比べ、沖縄はコンクリートのビルが多い。台風が多い土地柄だろう。そのせいかビルの外観は、どれも色褪せていた。そんなビルとビルの間を歩く。すると市場や商店に出会う。沖縄は内地と比べて、物価の安い物もあれば高い物もある。島ゆえの流通コストがあるからだ。そこで見つける物価の安いもの。それは安くて美味しい食事だった。店先に並ぶお弁当や惣菜は、どれも安くて美味しい。特に色んな惣菜が入ったバランスの良いお弁当はお気に入りだった。持ち帰ってゲストハウスで食べるのもよいが、薄暗い店の奥で食べるのが好きだった。店によっては、お味噌汁を出してくれる所もある。そこで沖縄のおばあの優しさというものに、少しだけ触れた気がした。

夕方からは酒場に繰り出すのが、自然な流れだった。公設市場の周辺は、せんべろ酒場として有名だ。僕が沖縄に通い始めた頃が、ブームのはしりだった。半分路上のような酒場で、オリオンビールと安い泡盛をすすりながら、四方八方から聞こえてくる島独特の喋りを聞くのが心地よかった。それはまるで異国にいるかのような気分だった。市場特有のにおいと、お世辞にも綺麗とは言えないビルの片隅で飲む酒。外に目線を移すと、ゆるりとしたアジアの空気が流れていた。

ゆるりとした空気といえば、ゲストハウスのスタッフもそうだった。僕のそれまでの旅行は、ビジネスホテルが主だった。ビジネスホテルは過剰なサービスというものがない。それが煩わしくなくて良かった。それに比べてゲストハウスも過剰なサービスはないが、人との距離が近かった。それはスタッフとのコミニュケーションひとつ取ってもそうだった。当然のように「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の決まりきった挨拶はない。朝に顔を合わせば、眠たそうな表情で「おはよ〜う」、チェックアウトのときは「またおいで〜」という具合。それが新鮮にも映り、沖縄に惚れ込んでいくきっかけのひとつだった。ビジネスホテルを寝床にする旅は、今思えば味気なかったと思う。

ゲストハウスには他のゲストと共有で使用する部屋がある。住居でいうところのリビングルームだ。これを沖縄では、ゆんたく場と呼んだ。そんなゆんたく場で、夜は飲み会が自然発生する。そこで出会うゲストも様々だった。妻を亡くした傷心旅行の夫、兄にナイフで刺されて、バイクで九州を一周する若い男、どこか闇のあるひとり旅の女。当時、沖縄に来て観光をしないひとり旅の女性は、内地で借金を抱えて、沖縄に辿り着くと言われていた。

そして「外こもり」と呼ばれる人もいた。外こもりとは、当時工場などの高収入のアルバイトを短期で働き、滞在費の安い沖縄で数ヶ月暮らす人々を指していた。家にこもらないから外こもり。記憶が正しければ、テレビのドキュメンタリーで放送された、タイのバンコクで外こもりをするふくちゃんが、外こもりと呼ばれるきっかけだったと思う。彼らは旅行で来ているわけではないから、観光に勤しむようなことはしない。目覚めは遅い。昼に近い頃起床し、朝食を兼ねた食事をする。その後ふらりと出かけるが、すぐに帰ってくると昼寝をし、夕方から酒を飲んでいたような気がする。しかし積極的に他のゲストと交流はというと、ゆんたく場にあまり顔を出していなかったような気がする。彼らは今どのような生活をしているのだろう。

その一方で僕の沖縄は旅行だったから、東京に帰ってくると仕事を中心とした生活が待っていた。当時住んでいたのは、東京の阿佐ヶ谷。酒場の多い街だ。阿佐ヶ谷の東側に住んでいたから、高円寺も近かった。高円寺は古着と音楽で有名だが、安い酒場も多かった。当時、高円寺駅の南側にある高架沿いの酒場は、示し合わせたように路上にテーブルと椅子を並べていた。テーブルといっても、安酒場にありがちな酒箱を逆さにした簡易テーブルだ。そんなチープさが、路上飲みの雰囲気にマッチしていた。コロナ禍における路上飲みとは別次元の話だが、僕はこの頃から外で酒を飲む楽しさを覚えた。ビアガーデンやバーベキューの外飲みとは違う爽快感だった。

旅はその後、沖縄から海外へ移った。初めて訪れた海外はタイのバンコクだった。空路でバンコクに着くと、カオサン通りへ向かった。初めての海外で、宿は予約をしていなかった。そんな旅をしたかった。だからカオサン通りに着いたら、真っ先に宿探しをするのが普通だと思うが、路上に並んだテーブルに心が躍った。片言の英語で注文したタイのビール、シンハーは格別の味だった。高円寺から沖縄、そしてタイで知った路上飲みは、東南アジアに流れる文化。暑い土地柄の特徴でもあることを知る。

タイ、マレーシア、ベトナム、ラオス、ミャンマー、カンボジア……
振り返ってみると、屋台を含めて外で食事ができる店ばかりを選んできた。違うのはそこが店の敷地か路上の違いかだけである。店員にエアコンが効いた店内に案内されても、自ら外の席がいいと拒んでいた気がする。変わった日本人と思われていたかもしれない。

酒を飲まない人種からすると、どうでもいい話だと思う。ただ、風通しの良い外メシ文化は、このコロナ禍で根付くといいとは思っているが、どうしてもスペースがない。都市部だと家賃も高い。気候の話し以前の問題である。

高円寺の酒場はその後、区と警察によって、店の前に柵が設置された。簡易テーブルを出せないようにするためだった。ある居酒屋は柵をテーブル代わりにして営業を続けたが、昔のような高円寺の酒場の風景は戻っていない。味気のない風景だと思う。高円寺の外飲み文化は気候の前に、道路交通法違反という法律が文化を消した。法治国家の宿命なのかもしれない。

沖縄の公設市場は二年前に営業を終えた。建物の老朽化のため、建て替えを余儀なくされたためだ。いずれその周辺も再開発の波がやってくるだろう。沖縄の風景は、人によっては昭和の風情と口にするが、僕にとってはアジアの入口。そんなアジアの風景は東京にも幾つか存在しているが、それらもいずれ消えていくのだろう。

そしてインターネットによる最近の情報だが、カオサン通りにも柵が設置され、通りの美化に努めていると目にした。国や街が成熟していくと、雑多な風景は目障りになるということか。昔、日本の路上にも屋台はあった。それを思うとどこか寂しさも覚える。

路上飲みーー。

コロナの感染状況が悪化するなか、悪の根源のひとつとして取り上げられることも少なくない。それはマスクを外す飲酒で声が大きくなり、飛沫による感染を懸念されるためだ。外で酒を飲むこと自体を否定するものではないと思っている。何より日本には桜を見ながら酒を飲む文化が根付いている。

コロナが落ち着いたら、いずれ消えゆくアジアの入口、沖縄に行こう。そして雑多な雰囲気のなか、オリオンビールを飲もう。できればオープンスペースがいい。その前に、空の下で本を片手に缶ビールを飲もう。明日、晴れるかな。

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